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52年前を思い出した

19日の「昭和の歌人たち~作詞家佐伯孝夫」(衛星2)には私の青春がよみがえってきて胸が熱くなりました。

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………

箱根山のふもとにある静岡県三島市などに出没する「暴れザル」の被害がやまない。

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私の頭、何度もなでた特攻兵

45年夏、祖母は宮崎県都城で旅館を営んでいた。その離れに若い2人の兵隊さんが住んでいた。

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短い鉛筆に思い出した笑顔

教師になりたての頃、生徒と教室の掃除をしていると、鉛筆や消しゴムなど

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つまるところ「雑草」が好き

(前略)雑草という名の植物はない、といった意味のことを昭和天皇が述べておられたのを思い出した。

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6年前の私へ 夢広がったよ

「6年前のはがき、桜組の皆へ」。4月4日の本紙「声」欄に、こんな投稿が載った。

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6年前のはがき、桜組の皆へ

ずっと忘れないように持っていたはがきをやっととうかん投函した。

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泣いた母を父が叱った

私たち兄弟は浄土真宗の寺の息子です。4歳上の兄は名前通り、のんきで穏やかで、

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好きな日本で生活してみて

日本の文化や日本語が好きで、韓国の大学を休学し、今年2月から日本へ行った。

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60年前の悔い始末つけた友

現金書留の差出人の名に首をかし傾げながらはさみ鋏で封を切り、手紙を広げると、

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スズメとの別れ

大阪の会社を退職して、ひと月余りになる。心残りがあるとすれば、スズメのことだ。

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文通25年の友に感謝

青森県のRさんから始めて手紙が届いたのは昭和28年

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嫌な選手だったな

「死んだ*かあ。何度か戦ったが、土井、高田、黒江は嫌な選手だったなあ。

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姉が仕立てた母の服

80歳になった姉が老人ホームへ引っ越すことになり、私たち姉弟と連れあいで手伝いに行った。

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信頼し合う社会、いつまでも

私の家は都心からそう遠くないが、近くには畑がまだ残っていて、無人の野菜販売所がいくつもある。

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雨季はやっぱりカタツムリ

朝、雨の中、ポストから新聞を出して玄関に戻る途中、緑の中に何やら茶色の丸いものが見えた。

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おやじのせなか

父親と称する人は3人いる。(中略)3人目はおふくろの実家の床屋に昔からいた

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個性豊かで美しい日本の町

休日に日本人の夫と散歩することが大好きです。中国と違って

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松葉づえ生活人情が支えた

昨秋、帰宅途中に転んで左ひざの骨を折った。全治3ヶ月。米国出張の直前だった。

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64枚の年賀状 わが家の宝物

戦争が終わる少し前、1944年のことである。私の家に1人の医学生が訪ねてきた。

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ラジオ修理のおじさんの死

終戦直後に結婚した私たちが、今の家に同居できたのは昭和26年晩秋だった。

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皆使う台拭く92歳立派です

会社の帰りにスーパーに立ち寄り、ビールを買った時のこと。レジの列で、

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人生の先達に幸せ教えられ

介護老人施設へ、時折親類の人を見舞いに訪れる。食堂と娯楽室を兼ねた広い一室に

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話芸の修行、日々に発見

私の師匠、五代目一龍斎貞丈は芸も素晴らしかったが、それにも増して人柄が素晴らしかった。

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エコにはまって3年

娘2人は自立、夫は定年退職し、格好よく言えばシンプルに、平たく言えば倹約生活に励んで

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娘の「偉人」はゴミを拾う人

小学6年の娘が国語の授業で尊敬する人は誰かとたずねられたという。私は、娘がどんな偉人の

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追憶の風景 東京

私は、ただの画家志望青年だったわけです。まだパリに行かないとダメという信仰

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雨音に耳をすませば

「雨ばかりで大変ね」。玄関を出る中学2年生の娘に何げなく声をかけた。肩からさげた

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糖尿病と闘う岩田投手は星

08年4月5日土曜日。普段はテレビなどあまり見ない私が、プロ野球阪神対巨人戦にくぎ付けになった。

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大リーグ報道目に余る偏重

日本の優秀な野球選手の大リーグ入りが増え、またそれなりの活躍もしている。それはそれで結構な

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孫預かり知る妻の労

「風邪を引いてダウン。助けて」と、近くに住む娘からメールが入ったので、孫とともに我家へ

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老舗の心刻むメトロノーム

正確なリズムと心地よい音を刻んで40年、現在もプロのオーケストラで活躍する妻を育て、

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他人の壁越え 戸惑いと喜び

「キャラメルいる?」バス停で本を読んでいたら、見知らぬおばあさんに声をかけられた。

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空襲と震災の慰霊なぜ一緒

東京大空襲の慰霊法要が今年も東京都慰霊堂(墨田区横網町公園内)で、

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「第58回NHK紅白歌合戦」抽選の結果について

このたびは、「第58回NHK紅白歌合戦」の観覧にご応募いただき、ありがとう

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国宝代なんてもらわない

そりゃあんた、あたしは職人だからね。手間以上のお金はもらわない。でも手作業で

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命の尊さ思い出す月

いつまでも見えていた夏の背中もようやく遠ざかり、月のきれいな夜が増えてきた。そんな時、

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夏は大学で文明史-南米出身のスター歌手

南米コロンビア出身で米国でも活躍中の人気歌手シャキーラさん(30)が今夏、カリフォルニア大学

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「信」届けると命かけた亡父

4年前85歳で亡くなった父は、58歳で退職するまで旧郵政省の職員として33年間鉄道郵便の仕事に

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日本のサービス精神

(前略)近くパリに渡航予定の日本人の知人から、アパルトマンに電気を引く時にはどんな手続き

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雑談の役割

(前略) 私は、学校で過ごした時間が十一年半で、友人が少ない。しかし、長く生きておどろくことは、

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早朝にパンを焼く老後

午前4時。その時刻を迎えると毎朝決まって目が覚める。急いで身繕いをし、洗面をすませ台所

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プロセスと結果

(前略)どうやら日本企業に、数字だけつまり仕事の成果だけしか重視しない、という態度が拡がっ

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集団就職‐その1

1957(昭和32)年、新潟県北部の豪雪地帯の中学を卒業すると、私は集団就職で愛知県小牧市の

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集団就職‐その2

「もう泣かないから」。無理に笑った母の顔が、窓の外にゆがんでいた。1957(昭和32)年、汽笛を高く

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富良野塾幕引きへ

(前略)主宰する脚本家・俳優の養成所「富良野塾」が10年3月末に閉塾することになった。

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現役の児童文学者

(前略)大人も面白く読め、長い時間に耐えて残る日本の子どもの本が、50年前も

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1ヶ月前、娘が結婚し新生活をはじめた。そして先日、27年間子どもの成長を見守った

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減量の秘訣は愛犬?

昨春、糖尿病と診断された東京都内のAさん(63)。「病状の悪化を食い止めるには食事療法と

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食糧自給

(前略)コンビニなどで販売される製品は、賞味期限や消費期限まで置かれることはない。

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文化勲章受賞をお祝いする会

勲章を頂いた当時、…たくさんの方に、お手紙などで「遅すぎる」「何で早くもらわなかった」とおしかりとも

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感謝の言葉が温かな心育む

1人でうどん屋に入った時のこと。きつねうどんで満足感を味わい、レジに行くと3人が 並んでいた。

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雨音に耳をすませば

「雨ばかりで大変ね」。玄関を出る中学2年生の娘に何げなく声をかけた。肩からさげたカバンには、教科書とノートがぎっしり詰まっている。そのうえ、傘をさして歩くのは大変に違いない。
ところが、娘はちょっと首をかしげて言った。「でも、楽しいよ。昨日は小雨。今日は大雨。だから雨が傘にあたる音が違うの」。傘に当る雨の音を聞きながら学校に行くのが楽しい、というのだ。
私は一瞬、どう答えていいものか、言葉を失ってしまった。
傘に当る雨音を楽しみながら登校するとは、なんて、すてきなことだろう。心の中に感動が広がっていくとともに、自分に対する反省の念がわき上がってきた。
私は、晴れの日には晴れの日を、雨の日には雨の日を、かけがえのない一日として過ごしてきただろうか。傘に雨があたって奏でられる音があるように、日常は小さな楽しみであふれている。そのことに感謝してきただろうか。
豊かに生きるとは、ありのままを受け入れ、それを楽しむことなのかもしれない。そのことを、娘に教わったような気がした。
娘は空色の傘を開いた。「行ってきます」
春の雨が、傘を待っていたかのように、楽しげに音を立て始めた。

 

<東京都・41歳・女性>