19日の「昭和の歌人たち~作詞家佐伯孝夫」(衛星2)には私の青春がよみがえってきて胸が熱くなりました。
箱根山のふもとにある静岡県三島市などに出没する「暴れザル」の被害がやまない。
45年夏、祖母は宮崎県都城で旅館を営んでいた。その離れに若い2人の兵隊さんが住んでいた。
教師になりたての頃、生徒と教室の掃除をしていると、鉛筆や消しゴムなど
(前略)雑草という名の植物はない、といった意味のことを昭和天皇が述べておられたのを思い出した。
「6年前のはがき、桜組の皆へ」。4月4日の本紙「声」欄に、こんな投稿が載った。
ずっと忘れないように持っていたはがきをやっととうかん投函した。
私たち兄弟は浄土真宗の寺の息子です。4歳上の兄は名前通り、のんきで穏やかで、
日本の文化や日本語が好きで、韓国の大学を休学し、今年2月から日本へ行った。
現金書留の差出人の名に首をかし傾げながらはさみ鋏で封を切り、手紙を広げると、
大阪の会社を退職して、ひと月余りになる。心残りがあるとすれば、スズメのことだ。
青森県のRさんから始めて手紙が届いたのは昭和28年
「死んだ*かあ。何度か戦ったが、土井、高田、黒江は嫌な選手だったなあ。
80歳になった姉が老人ホームへ引っ越すことになり、私たち姉弟と連れあいで手伝いに行った。
私の家は都心からそう遠くないが、近くには畑がまだ残っていて、無人の野菜販売所がいくつもある。
朝、雨の中、ポストから新聞を出して玄関に戻る途中、緑の中に何やら茶色の丸いものが見えた。
父親と称する人は3人いる。(中略)3人目はおふくろの実家の床屋に昔からいた
休日に日本人の夫と散歩することが大好きです。中国と違って
昨秋、帰宅途中に転んで左ひざの骨を折った。全治3ヶ月。米国出張の直前だった。
戦争が終わる少し前、1944年のことである。私の家に1人の医学生が訪ねてきた。
終戦直後に結婚した私たちが、今の家に同居できたのは昭和26年晩秋だった。
会社の帰りにスーパーに立ち寄り、ビールを買った時のこと。レジの列で、
介護老人施設へ、時折親類の人を見舞いに訪れる。食堂と娯楽室を兼ねた広い一室に
私の師匠、五代目一龍斎貞丈は芸も素晴らしかったが、それにも増して人柄が素晴らしかった。
娘2人は自立、夫は定年退職し、格好よく言えばシンプルに、平たく言えば倹約生活に励んで
小学6年の娘が国語の授業で尊敬する人は誰かとたずねられたという。私は、娘がどんな偉人の
私は、ただの画家志望青年だったわけです。まだパリに行かないとダメという信仰
「雨ばかりで大変ね」。玄関を出る中学2年生の娘に何げなく声をかけた。肩からさげた
08年4月5日土曜日。普段はテレビなどあまり見ない私が、プロ野球阪神対巨人戦にくぎ付けになった。
日本の優秀な野球選手の大リーグ入りが増え、またそれなりの活躍もしている。それはそれで結構な
「風邪を引いてダウン。助けて」と、近くに住む娘からメールが入ったので、孫とともに我家へ
正確なリズムと心地よい音を刻んで40年、現在もプロのオーケストラで活躍する妻を育て、
「キャラメルいる?」バス停で本を読んでいたら、見知らぬおばあさんに声をかけられた。
東京大空襲の慰霊法要が今年も東京都慰霊堂(墨田区横網町公園内)で、
このたびは、「第58回NHK紅白歌合戦」の観覧にご応募いただき、ありがとう
そりゃあんた、あたしは職人だからね。手間以上のお金はもらわない。でも手作業で
いつまでも見えていた夏の背中もようやく遠ざかり、月のきれいな夜が増えてきた。そんな時、
南米コロンビア出身で米国でも活躍中の人気歌手シャキーラさん(30)が今夏、カリフォルニア大学
4年前85歳で亡くなった父は、58歳で退職するまで旧郵政省の職員として33年間鉄道郵便の仕事に
(前略)近くパリに渡航予定の日本人の知人から、アパルトマンに電気を引く時にはどんな手続き
(前略) 私は、学校で過ごした時間が十一年半で、友人が少ない。しかし、長く生きておどろくことは、
午前4時。その時刻を迎えると毎朝決まって目が覚める。急いで身繕いをし、洗面をすませ台所
(前略)どうやら日本企業に、数字だけつまり仕事の成果だけしか重視しない、という態度が拡がっ
1957(昭和32)年、新潟県北部の豪雪地帯の中学を卒業すると、私は集団就職で愛知県小牧市の
「もう泣かないから」。無理に笑った母の顔が、窓の外にゆがんでいた。1957(昭和32)年、汽笛を高く
(前略)主宰する脚本家・俳優の養成所「富良野塾」が10年3月末に閉塾することになった。
(前略)大人も面白く読め、長い時間に耐えて残る日本の子どもの本が、50年前も
1ヶ月前、娘が結婚し新生活をはじめた。そして先日、27年間子どもの成長を見守った
昨春、糖尿病と診断された東京都内のAさん(63)。「病状の悪化を食い止めるには食事療法と
(前略)コンビニなどで販売される製品は、賞味期限や消費期限まで置かれることはない。
勲章を頂いた当時、…たくさんの方に、お手紙などで「遅すぎる」「何で早くもらわなかった」とおしかりとも
1人でうどん屋に入った時のこと。きつねうどんで満足感を味わい、レジに行くと3人が 並んでいた。