無駄な努力
毎日の生活の中で、人はある目標に向って骨を折る。つまり努力する、頑張る、耐える、我慢する、などのことをしています。スポーツでタイム、スコア、距離など、記録を向上させるための努力、ふだんと変わらない生活を続ける健康の維持や体力の向上ために骨折る、言葉の数やさまざまな表現力をつける語学力の獲得に向けて頑張る、生活を経済的に保証する事業の管理のための努力、上手な人付き合いをしようと耐える、成功する交渉ごとのために骨折る、他人に好意を持つ努力、街路を清掃するなど環境を整備する頑張り、人を育てる努力等々。誰もが手に入れたいもの、こうありたいと思うことのために骨を折っています。
ところが誰もが経験するように、こうした努力がすべて報われるわけではありません。骨折りが報われたかどうかの判断は、それが目指した効果を得られたかどうかでされるでしょう。我々は自分の目指した効果が得られると、自分のしたことの意味や価値に気づきます。それは、おおざっぱに言えば、投入した手間(エネルギー)や金額(資本)が回収できたかどうか、それに見合う結果が得られたかどうかで評価されます。この結果の中には、骨折りの意味が周りから認められたという満足のように、無形なものも含む多くのことがあります。
上とは反対の、目指した成果を得られない骨折り、努力、頑張り、忍耐、我慢は、まあ無駄と見て、骨折りを続けるのを変えた方がよいでしょう。と言っても、止めるのではありません。つまり現実的になって、これまでの骨折りと期待/目標のアンバランスに目を向けることです。中でも一番大きな無駄は、結果につながらないまま、いつまでも骨折りを続けることでしょう。例えば、体重を減らす、血圧を下げるつもりで始めたダイエットや運動プログラム、スポーツでの記録向上を目指す練習などで、長い間結果が見られない場合などがそのわかり易い例ですが、ここではどうせなら、骨折り、努力、頑張り、忍耐、我慢を、考えを変えて続けることでしょう。なぜなら目指した成果を得られない骨折りには、目標の設定に問題がある場合が多いようです。たとえば病気や企業の業績不振などを、本来その回復に必要な時間を無視して、きわめて短期間で直そうとする、効果を求めようとするなどがそれです。
もし一年以上骨を折り続けてまだ効果の出ないものは、目標を手の届くところに設定し直すことです。具体的には、目標に達するための道順に段階をつけて、どの段階から着手するかを、作業の効果を考えて決めることです。
無駄な努力を省くには、努力のタイミング、リズム、ペースをつかむのが要領でしょう。生活を変えて健康になろうと、睡眠時間や食事を管理するなら、食事の量や栄養バランスの確保ばかりでなく、何時に寝て、何時に起きるか、3度の食事をいつ摂るかなどの規則正しいタイミング、リズム(その前後に必ずすること)、ペース(最小限の規則性)など、質の管理も重要になります。余談ですが、一通りの健康を備えていれば、自分に向いた睡眠時間帯を選びそれを守ることだけで、睡眠の質(寝つき・熟睡・目覚め)までも確保できるでしょう。
また、無駄な努力をしないためには、いわばそれに並行した目標への意欲が求められますが、これはまた別の機会に譲りましょう。