幸福の「指標」
内閣は国民の幸福実現を政策課題に掲げているそうです*。同じような考えが地方自治体(東京都荒川区や熊本県など)でも進んでいると言います。
「幸福実現」とは、一見わかるようでいながら「それはどういうことなのか。何を指標に置くのか」と改めて自分のなかで敷衍する<「意味のわかりにくいところを、やさしく言い換えたり詳しく述べたりして説明すること」(岩波国語辞典第五版)>と、なかなか言い表すことができないものです。アメリカ大統領(第40代)の故R.レーガンは「皆さんに何でもしてあげられる政府は、皆さんからすべてを取上げる政府にもなるのです」と国民に向って言ったそうです。
幸福はその人がいま置かれている境遇と密接に関係するものですから、ある指標を設けるのなら、まずその境遇を統一することから始めることになります。そうなるとその統一の目安はいきおい衣・食・住のハードになります。このように幸福の観念を境遇の統一から入ると、次は個人個人のその目安に対する価値観が顔を出すでしょう。つまり、ある人がその境遇を幸福と感じるか感じないかです。ただここまでくると、自分の置かれた境遇を幸福と感じるかどうかは、個人の価値観と結びついているから、それをひとし並みにするのは容易な相談でないことがもう分ります。
世の中がこうした個人差を無視するには、21世紀の今日はあまりにも複雑化していると言われますし、それに世の中が複雑化した原因か結果かは、おそらく人々の(自分の境遇の)選択の多様性への願望の表れでしょう。しかしそこには多くの人の選択するものに入る、これだけは譲れないいくつかのものがあることに気付きます。アメリカの財務長官をしたこともある某氏が若い頃、ブルックリン<ニューヨーク>のあるレストランで昼食を取っていると、中年の黒人ウェイトレスから、すべての人が敬意と尊敬を以って扱われる日が来ると思うかと突然聞かれたそうです。「敬意と尊敬を以って扱われる」ことはまさしく人がこれだけは譲れないいくつかのもののひとつとすれば、政治の衝に当る者は何よりも先ずこれの普及に心すべきでしょう。これは人々に幸福を手に入れさせる近道です。
アメリカの作家マーク・トウェイン(1835~1910)の「乞食と王子」<Prince and the Pauper>は、チューダ朝時代の英国社会への風刺と同時に、それぞれの人に、自分にとって幸福とは何かを考える手がかりを与える物語です。
*鳩山由紀夫首相は(注:2010年2月)28日、首相公邸で菅直人副総理兼財務相や仙谷由人国家戦略担当相らと会い、新成長戦略の具体策取りまとめに向け、国民の「幸福度」を調べる方針で一致した。具体的な調査項目を詰めた上で、3月初めにも着手する。仙谷氏は公邸前で「単なる数字のGDP(国内総生産)だけじゃない成長をわれわれがどうつくっていくのかと(いうことだ)」と記者団に述べ、新たな指標として検討していることを明らかにした。「幸福度」については、昨年12月にまとめた新成長戦略の基本方針でも「国民の『幸福度』を表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取り組みを行う」と盛り込まれた。<時事>。■<041010>