自分と折合う
人の心にあるものを歌うのが詩人なら「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と、ある詩人が書いたように、自分の目標をてその実現を目指すのは、それが私たちの成長を助ける自然なことです。
私の周りにも、流行作家を目指す、組織の経営幹部を目指す、脚光を浴びて舞台で演じる俳優を目指す、楽器の演奏家になって音楽界での活躍を期す、スポーツの一流選手として活躍を夢見るなどの若者がいます。
目標を持つからには、そこに向って周到に計画を立てて、今自分はどこにいるかと、その位置に絶えず注意を向けることが必要です。俳優を目指すなら、ある期間内にせりふのある役をX本以上取るとか、作家を目指すなら、いつまでに自分の書いたものが、Y回商業紙誌に載る-などが計画で、それがこれまでにどのように実現しているかを見るのが、自分の位置に注意を向けることす。こうしたことのできない人は、いつも経っても自分の未来にあこがれているだけで、成長しない人です。
ですから、自分の目指す目標に到達するためには、他人には話せない執心<寝ても覚めてもそのことばかり考える、なりふりかまわずそれに打ち込む>*を持つことがどうしても要ります。
ただ、今日ここに書くのは、自分の目標に打込むのも、それにこだわり過ぎて機を失う
<とは、いつまでたっても計画と現在地の距離が縮まらないことです>と、自分のよい点を発揮できないまま一生を送ることへの警告です。「こだわり過ぎて機を失う」とは、言い換えると「実現に時間がかかりすぎる」、「時間をかけても進歩や手ごたえがつかめない」ことを指します。そうなると、ナポレンやヒトラーのロシア侵攻のように、自分の目標しか見えなくなって自分を欺くことになります。人の一生は機を逸しないことですから、こだわり過ぎると、目標の質を下げて妥協する自分に気付かないことにもなりかねません。
そこでそうなる前にすることは、一旦立止まって、自分の目指す「世界」を少し広く、それがどのような要素や役割の人々からできているかを見ることです。そして、あなた自身のキャリアを、その中のさまざまな役割の中から選んで、どのように構築するかに改めて目を向けることをお勧めします。
例えば小説家から編集者へ、書く役割から書かせる役割に目を向ける、俳優から演出家へ、演じる役割から演じさせる役割を見るなどです。こうした見方ができれば、多くの場合、目指す「世界」の中に、あなた自身に向いたキャリアが見つかるものです。役割は優劣ではありません。それは自分が追うキャリアのひとつの形です。それに目を向けて、役割を選ぶのです。
選ぶ過程では、始めから細部に目を向けるのでなく、その役割を通してその世界を見る「目」を持つことが望ましいと言えます。あなたが望むならその作業をひとつの「経過」と考えるのがよいでしょう。
こうした選択のときには、世界を広く見る上で、周りにいる肉親や親しい友人などの助言が貴重です。■<091010>
* "[執心する]とはどうすることかを書いておきます: 執心するとは、目標を引き寄せるためにあなたが行動することです。役者志望なら、役のついたときには、本番前の仲間との談笑の輪に入らず、自分に与えられたセリフ覚えに没頭するのです。広告代理店で石油会社を担当することになったら、<D. Ogilvyが言ったように>高校の教科書で石油について勉強し、あらゆる業界紙誌を定期的に読み、休日にはサービス・ステーションで働き、給油に来るドライバーと話す-などをすることです。