受け容れる
Aさんの職場の同僚にBさんがいる。BさんはAさんが頼んだことは何でも引受けるのに、途中でできないとわかると、Aさんに断りなく投げ出す。Aさんが席を外していた時に外部から大事な伝言を受けても、伝えるのを忘れることが多い。Aさんから借りて仕事に使ったものは使いっぱなしで、催促しないと返さない。こうしたことの後始末をすることの多いAさんが憤慨して注意すると、そのときは「すみません、自分でもあきれています」などと、平謝りに謝るのに、行動は一向に改まらない。そしてAさんの悩みは尽きない。
Aさんのような悩みは、家族、友人、職場の仲間や上司との人間関係でよく見られる。ところがこうした例をいくつか見ると、そこには共通のものがいくつかあるのに気がつく。もちろん上のAさんと同僚のBさんの間にもある。それはAさんの悩みはそもそもBさんのすることが当のAさんの価値観 <「これはこうあるべきだ」>と衝突することから生れること。そしてもうひとつは、それだから人間関係の悩みに大小はなく、どんなものでも当の本人(この場合はAさん)にとっては大変深刻であることなどだ。
人間関係で私たちの気に障ることや悩みの種は、大人の私たちが自分自身に備えている価値観<「これはこうあるべきだ」>を抜きには考えられない。価値観はもともとその人の、素朴な善悪の判断や、好き嫌いの感情が出発点になっている。それは大人なら誰もが持っていて、その人の行動の基礎になるものであると同時に、何よりもおいそれと変えることのできないものでもある。これはこの場合のBさんもそうで、彼の行動の基礎である(Aさんを悩ます)価値観は変えられない。つまり私たちは毎日、自分とは異なる価値観を持つ他人に囲まれて暮しているのだ。そしてふだんの暮しとは、あなたも含めて、めいめいが価値観をもとに行動する場なのだから、人間関係の悩み<いらいら、くよくよ>は決してなくならないことになる。
人間関係の悩みである、いらいら、くよくよ、がなくならないとすれば、私たちには日常のそれらを少しでも減らす工夫をするしかない。そのためには何が必要かといえば、相手の(価値観にもとづく)行動を、<善悪好き嫌いといった>あなたの価値観で判断する前に、まず行動<何をしているか>そのものとして見ることだ。
次に、行動にはそれぞれ目的と意味があるものの、相手の目の前の行動が、その時その場の状況にふさわしいかどうかの状況を見る。そして、行動がその時その場の状況にふさわしくなければ相手にそれを率直に伝えることだ。
つまり、相手が自分の価値観で、そのような行動をした<そして、多分これからもする>ことは受容れるが、それをした目的と意味がいまの状況とマッチしていないと、それは不都合だから改めてもらうので、相手には価値観を変えることを求めずに、状況に応じて行動を変えることを求めるのだ<*>。
これは大変回りくどいやり方だが、目下これ以外に方法がないと知っておくことは、何よりもあなたの気持ちを整理するのに役立つ。
*価値観を変えることをどのような仕方で「求める」かは、今日は取上げません。
しかし俚謡に言う「丸い玉子も切りよで四角、物も言いよで角がたつ」はぜひ参考にしてください。