ひとづきあい
「私は周りの人とうまく行かない。これには何か原因があるのではないか」と考える人は昔も今も多いようです。これは新聞雑誌の相談欄に、ひとづきあい(人付き合い)に関することが多いのでも分ります。
自分のひとづきあいは、時々振返るのはよいのですが、普段からあまり考えることでもないのが自然でしょう。ただ厄介なのは、これがうまく行かない時にだけ思い浮ぶことです。でもこれもほかのこととあまり変りません。電気をつけようとして、スヰッチを入れて明りがつかなければ(つまりうまく行かなければ)、誰だって「あれ?」と思うものです。
考えてみると、私たちは(たとえ1人で暮していても)毎日大勢の人に囲まれて生活しています。「人間は社会的動物」と、アリストテレスの言葉を引かなくても、人間は集まって、いわば自然に集団や社会を作ってその中で生きているのです。この「自然」とは、よい悪いとは別のことです。私が人間には仲間が必要と実感したのは、アメリカ社会で1人暮しを始めたしばらくは、言葉ではなく、自分の<価値観>を共有する友達がいなかったことです。
ひとづきあいはできればうまく行ったほうがよいものです。うまく行くとは、それをもとに余計な心配をしないことです。自分の話が聞いてもらえない、人に嫌われる、仲間に入れてもらえない-と感じてもそれがあなたの不安の種にならないことです。こうしたことは、あまり心を労することではないと思います。人間関係のあるところから先はほどほどに、と考えないとうまく行かないところがあります。「ほどほどに」とは、他人のことはあるところから先はわからない、自分のことは他人にはあるところから先はわからないと知って暮すことです。自分の考えで他人を幸せにすることなどできないように、他人のことは他人のこと、また自分のことは自分のことなのです。
あなた自身が人間としてほどほど(つまり約束したことを簡単に破るなど、いい加減でだらしない人間)ではいけませんが、反対に人間関係(ひとづきあい)はほどほどにしないと、自分の成長がおろそかになります。ひとづきあいはあなたに最低限の一貫性<(1)相手とした約束は守る、(2)相手に無差別な競争心を持たない、(3)相手の話を聞く>があれば、誰にとってもむつかしいことではありません。ひとづきあいは、通りを歩く時クルマに気をつけているのと、クルマに轢かれないかと絶えずびくびくしているのとの違いのように、用心することではあっても、不安を抱えることではありません。それに、ほどほどにと考えれば、自分を勇気づけることができます<「勇気づける」とは、あなたをあなたの手で、何かほかのことに行動する気にさせる、つまり生産的、創造的なことに仕向けることです>。相手と向い合った時、相手の気持ちに共感しても、それに巻き込まれないことです。「気の毒だなあ」と思っても、相手の不幸であなたまで不幸になっては元も子もなくなります。
人とまじわるのは空気を吸うのと同じですから、人と付き合わないとあなたの内部で何かが変ります。それが原因で死ぬことはないでしょうが、空気を吸っていても、薄い空気を吸っているようなものです。ひとづきあいではいやなことは当たり前と思うことです。誰でも相手によいと思って、言ったことが聞いてもらえなかったことが沢山あるはずです。
「自然に生きる」とは、自然食品を食べることや、きれいな空気を吸って規則正しい生活をすることのほかに、こうしたことも含まれているのです。■<121609>