あてにする
毎朝目が覚めると心に今日一日のいろいろを思い浮かべます。そして、それらの一つでも多くが自分の思い通りの結果になるように望むのです。今日一日ばかりでなく、これからしばらくして起ることを考えて、それが思い通りに行くようにとも考えます。その中には、採用/合格通知、デート、就職の面接、これから受ける試験、今日の会合、ある手続き、買物、荷物の到着、金の工面、今日のチームがの勝利などがあって、誰もがその結果から満足を得ることに執着します。観光旅行の途中であれば、今日一日の予定や、見物する場所や景色のこともあるでしょう。
この望みは「結果をあてにする」という言葉で表せるでしょう。期限のある頼みごとの結果はこれに入りますから、差し迫った金の工面、道具や機械の調整や修理、書類や作業の仕上げなど、また自分の体力や健康をあてにする人もいます。これらは短期的で切羽詰っていますから「期待」という言葉は使えません。子供の成長を期待する親も、子供の成長をあてにするとなると、切実な響きがあります。
誰もが経験しているように、あてにしたことは外れることもあります。むしろ外れたことの方が多いと覚えている人もあるでしょう。「あて外れ」<あてにしていたことが実現しない>は失望を意味しますから、結果によっては、それに関った人達を恨むことになります。
こう考えると、病気になって医師や薬に頼るのも自ずから限界があります。切羽詰って外れては困るようなこと、それが満たされないと自分の気持がおかしくなるようなあての仕方は「依存」に発展しかねません。
他方で、私達にとって都合のよいことも悪いことも、ひとつの事はそんなに長く続かないと考えると、毎日の生活で何かをあてにしすぎるのは愚かとわかります。健康な人でも、それがいつまでも続くとは限らないように、病気になっても、それもいつまでも続くものではありません。また、どんな人とも何時までも親しさが続くとは限りませんし、相手が金持ちでも、実力者でも、それを理由に全面的に相手をあてにするのは愚かだとわかります。上に書いたように、期待が大きければそれが叶えられないと、自分のことは棚に上げて、人を恨むし、意味もなく自分に絶望することが多くなります。
容易ではありませんが、世の中のことは、それぞれ独自の軌跡を描いて運行していると理解すべきなのです。そうして、あてにすることの他に、いくつか他のことを代りに考えて、対策を立てるのが大人の「気持ちを整理する」助けになります。子供の頃、伯父の一人が「あしたはお天気ならドライブ、雨だったら映画」と2つのプランを示して、幼い私たち姉弟を誘ったことを思い出します。昔の人は「あてごととフンドシは向うから外れる」<自分の都合で期待していても、現実はそううまくいかない>と言ったそうですよ。
ついでに書くと、相手にあてにされたら、こんどはあまり力まないで、相手の知らないところで相手のためにベストを尽くすのが良いでしょう。そして、相手に一番良い方法で期待に応えるようとするのです。結局こうした行いは自分に帰って来ますから。就職の世話を依頼されると、入社試験は受けられるように手配するが、受かるかどうかは本人次第だよと、本人や周囲に釘を刺すことを忘れなかった、ある会社の役員がいたことを知っています。■