「自分を愛する」とは?
社会とのかかわりをこれから深める年齢や、すでに世の中とのかかわりの深い年齢で、自ら死を選ぶ人が後を絶たないそうです。またそれを防止しようと設けた相談の窓口に来る人は年々増えていて、相談が間に合わないと言います。
社会とのかかわりを持つ年齢が幾つかにはいろいろな意見があるでしょうが、こうした年齢層の人々の自死は、社会から活力を奪いますから大きな損失です。
ある大学の先生の書いたコラムを読んでいたら、めいめいが自分を愛することによって自殺者の数を減らすことができるとありました。それでは「自分を愛する」とはどういうことなのでしょう?
自死の引金になるのは、理由は何であれ、自分を否定することでしょう。自分に過大な期待をすると、それに応えることができない場合、それはやがて自分に対する否定に肥大すると言います。自分を否定するのは、本来誰もが持つ自分への期待が大きすぎる時に起るようです。
自分への期待はそれが大きすぎると自分を縛ります。例えば以前「自分をだめにする三ヶ条」を聞いたことがあります。それは、(1)わたしはいつも気分が良くなければならぬ、(2)わたしは誰からも好かれねばならぬ、(3)わたしは何でも知っていなければならぬ-のようなものでした。これなどは、自分にできもしないことを押し付ける例で、私たちはこうしたことをふだんも無意識にやっています。
ここで言う「自分」とは、正確には「自分のすること」でしょう。私たちはいつも「自分のすること」で自分を見ていますから、自分を評価するなら、何もしないのではなくて、何かをすることが必要になります。「何かをする」は、することを決めて習慣にすれば身につきます。
その習慣とは「決まった時間に決まったことを自分のためにすること」、一日、一週間、一月のどれかの単位で、決めた時間に決まったことを繰返しするのが「習慣」です。ある事を決まった時間にするのは「そのうちやろう」を防止しして、習慣化の第一歩になります。習慣にはそれを身につける事で気軽に身体を動かすようになるので、往々、一見してそれとは関係のない、ややこしいあなたの問題を解決することがあります。さらにもう一歩進めて、自分の「自分のすること、していること」が<自分にとって>正しいと思う。のは、身についたあなたの習慣を強化します。
最後に習慣化できることの例を思いつくままにあげます。どの例の前にも「決った時間に」をつけて読んでください。いいですか?細かいですよ:
家の周りを掃く、新聞を読む、食料品の買出しに行く、本を読む、決まったコースを散歩する。公園や学校など、自分で決めた場所まで歩いて往復する、洗面や髭剃りなどの身支度をする、日記を書く、手紙を書く、電話をかける、テレビを見る、インターネットを見る、書店に行く、ボランティアをする、新聞・雑誌・本などを声に出して読む、室内の掃除をする、洗濯をする、アイロンを掛ける、自分の食事を作る、知人をたづねる、映画を見る、植物に水をやる、決まった場所の寫眞をとる、楽器の練習をする、歌を歌う、画を書く、書を書く、木工やプラモデルの工作をする、庭の草取り、植木の剪定、タンスや本棚の整理、ゴミに出す不用品の仕分け、小さな会合<町会、趣味の会>に出る/それを探す、<一日3つ>散歩の時に見た草木の名前を調べる、図書館に行く、体操する、地域の史跡を見に行く、寺社を周る、寫眞を整理する、菜園をする。
こうしたことの中から自分のためにすることを選んで、繰返し実行するのが習慣です。そして、ご自分の選んだことが自分にとって重要と感じられるようになるまで続けることです。そうですその通り。「続けること」がキー・ワードです。続けることに価値があると感じたら、それをしている自分を愛するようになります。■<071010>