個人の価値観
私たちの数少ない持物のひとつに、個人の価値観があります。ここで言う価値観とは、ふだん自分が考えたり行動したりするときに、その人が何を優先するか、何を大切にするかを指します。価値観はその人の顔と同じで、あまり変わらずにかなり長持ちします。まあふつう、ほぼ一生その人について廻ります。その人の顔と同じと書いたのは、価値観もあることをきっかけに、変ることもあるからです。
その人の価値観は、例えば自動車の運転のようなふだんの行動に出ます。自分の車をそのハンドルを使ってコントロールしようとする(価値観の)人は、緊急の際にはまずハンドルを操作して車、つまり自分をコントロールしよう(落着かせよう)とします。自分の車をそのスピードでコントロールしようとする人は、緊急の際にはまずブレーキを踏んで車の速度を変え車、つまり自分をコントロールしよう(落着かせよう)とします。そして、自分の車を警笛でコントロールしようとする人は、緊急の際には警笛を鳴らして車、つまり自分をコントロールしよう(落着かせよう)とするのです。
私は以前、ある程度以上の規模の組織には、自分の属する部門の目標を自分以外の周りを変えることで実現しようとする管理者と、反対に自分自身を変えることで達成しようとする管理者のいることを知りました。その価値観の違いはこうです。前者は新しい部門に赴任すると、まず自分の周りを変える、たとえば自分の不要と考える部下を入れ替えることに手をつけます。時には甘言を弄して、そうした部下を他の部門に移すのです。ところが後者は、どうしたらその職場に以前からいる人達をそのまま使って業績が上げられるかを工夫して、時には足手まといになりそうな人達に新しい役割を与えるなどして乗り切ろうとします。この違いは結果から見れば、その管理者がいなくなった後、その職場に残るのは業績か、価値かと言うこと<072009「考えるヒント」参照>に落着くわけですが、ある程度以上の規模の組織は、それが業績第一で運営されている限り、こうした価値観の矛盾も呑み込んでしまいます。
さて、世の中にはいろいろな人が居るのですから、ひとつひとつの価値観のどれがよい、どれが悪いと一概に決める訣には行きません。しかし、違った価値観の持主同士が何かの拍子に衝突すると、ふつうトラブルのもとになりますから、それぞれの価値観の持主がお互いを知らなければ、それはそれで厄介なことです。
価値観はまた、個人の適性につながるといった別の面を持っています。つまり、あなたが大きな組織で活動するか、小さな組織を選ぶか、古くからの組織とつながるか、新しい組織を取上げるかなどや、そうした組織ですべきこと、すべきでないことが分ります。つまり価値観は、これからの自分のキャリヤを選ぶ上で大きな影響を持つのですから、自分のそれを知っておくことは、大いに意味のあることです。
一旦自分の価値観を自覚したら、事情の許す限りそれに合う生活をするのが理想です。そのためには、周り人達の価値観を尊重しながら自分の価値観を保護する最低限の自由を確保するために、折にふれて周りの人に自分の価値観を上手に表現して伝えておく必要があります。“We reserve the right to refuse service to anybody”と書いた掲示は、今でもアメリカの飲食店で見かけるそうですが、これなど最低限の自由を確保する工夫です。いま流行のワーク/ライフ・バランスの実行にも、こうした配慮が望まれます。
あなたから見てどんな厄介な価値観でも、それを理解することは自分の価値観についていっそう知ることになります。こうすれば、日常接する周りの人と自分との違いが分りますから、そこで起こるさまざまな対人関係上の問題を、感情に走らずに解決し易くなるわけです。■<111609>