自分らしく生きる?
近頃「自分らしく生きる」と書いたものをよく見かけます。そうした表現は、高齢者向けの健康薬の新聞雑誌広告や、地域の講演会のテーマで、ポスターやチラシに刷ってあったりします。
それを見ると、健康薬の広告は多く生理的な苦痛からの解放を謳っています。また、地域の講演会のテーマとしては、個人が時として感じる、生きていること無意味さや孤独感、倦怠感などの精神的苦痛からの解放を処方しているようです。
私たちは、いつも「自分らしく生きる」などとばかり考えて暮しているのではありません。しかし子供の頃は何かのできごとの折に周りの大人に言われ、大人になると暮しの節目にこうしたことを考えるようにはなるものです。こうして「自分らしさ」をどう受け止めるにも次第に個人差が生れます。ですから何が「自分らしい」のかは個人の選択の問題で、これを一律に決めることは難しいでしょう。
「自分らしく生きる」のは誰がいくつになっても必要なことです。なぜなら、そうすれば他の人とは違う自分として、毎日を容易に過せるからです。ここでの「容易に」は、「苦労なしに楽に過せる」の意味ではありませんよ。行動が変らずに一貫するなど「自分に最適に過せる」の意味です。
人は生き物で、それぞれの生涯の局面でその人だけの役割を持ちますから、「自分らしさ」を意識するには、その時の自分の役割を自覚するかどうかが大きくものを言います。家族の中での役割、私的なグループでの役割、社会的な組織での役割等々です。役割を果すとは、何かから逃げるのでなく、何かを追い求めていくことになります。だからそれを自覚することが必要なのです。追い求めるものは、例えば自分の目的やキャリアでしょう。
人は生き物で生涯に限りがあるわけですから、「自分らしく生きる」ことにとって、それぞれの役割をその時の年齢に応じて選択することが重要です。年をとったからと加齢に抵抗するのは愚かです。若い時でも30代になる、50台になる時などに抵抗感を覚えた人はすくなくないはずです。年齢は天が与える目安ですから、自分の暮しにこれを考慮に入れるのは「自分らしく生きる」ときの智恵です。昔からあった長寿を願う道歌めいたものや、妙な外国の詩のなどを今更のように引用して加齢に抵抗することは、いまの言葉で言うアンチ・エイジングで「自分らしく生きる」時の邪魔になります。それどころかむしろ今の役割や、地位にしがみつく口実になりかねません。ある年齢になったら、世俗の役割・地位を離れて、自分の中に築く役割・地位に憧れるようになりたいものです。たしかに加齢によって、選択の幅は日を追って少なくなります。しかしそこには確実に選択の余地があるのです。
そこで役立つのは、「自分らしさ」を意識したら、そのこと自体に好奇心を持ち続けることです。関連することをテレビやラジオ新聞で見聞きしたら、それをそのまま鵜呑みにしないで、その先<「何故?」ですね>を考えたり調べたりすることと、日常の行動<考えること、言うこと、すること>にそれをどのように使うかの工夫を、回りに対してよりも自分に向けることですね。■<051010>