Ｘ月Ｘ日

昭和17年4月18日、日米が開戦してからほぼ4ヶ月経ったこの日、東京は初めてアメリカ軍による空襲を受けました。ハワイの真珠湾（パール・ハーバー）攻撃で幕を開けた太平洋戦戦争は、当時フィリピンの首都マニラやシンガポールの占領など、日本の戦捷が相次いでいました。ですから米軍機によるこの本土空襲は、多くの国民にとっていわば寝耳に水のできごとだったのです。被害は下町で多く、死者も出ました。それでも当時の新聞は「わが方の損害軽微」と報じたそうです。この時を境に、多くの国民にとって永い永い戦時の暮しが始まったのです。

この昭和17年はまた、私の小学校に入学した年でもあります。そして4月18日は、春の遠足の当日でした。その日は全校生徒が朝の校庭に整列して校長先生の訓示を聞いてから、（目的地が遠い）6年生から順番に隊伍を組んで校門を出、それぞれの目的地に向うことになっていました。1年生で図体の大きな私は、列の最後尾にいたのですが、同級生の列がやっと動き出して校門の近くまで行ったところで止ったのに気づきました。空襲警報が出たから家に帰るようにとのことです。

その日の記憶は、学校から５分とかからないわが家に帰ったところでほぼ途切れています。そのほかには、母がその日のために整えてくれた、当時はもう手に入りにくかったキャラメルなどのおやつ類をひとりですっかり食べて後で母に叱られたり、玄関脇の応接間にあった自分の勉強机で遠くの爆音を聞きながら「あの音はもしかすると、よく遊びに行く久我山の高射砲陣地のものかも知れないぞ」と思ったりしたことを途切れ途切れに思い出します。

あれからいちども善福寺に行く機会のないままに60年余が経ちました。そして、この遠足を、今年の同じ4月18日のほぼ同じ時間帯でやってみました。
京王井の頭線を「井の頭公園」駅で下車して公園に向う階段を降り、神田川源流の細い流れをまたいでから公園の東端に出て、ゆるやかな坂を上ります。そこは昔、一面に笹の生えたクヌギ林の中の、人通りの少ない道でした。林の出口には、小さな裁縫教室があって、その前で小さな姉妹が遊んでいるのをよく見かけたものです。その頃新潟からわが家に来ていたねえや、つまり、5歳下の弟をとても可愛がったお手伝いさんが、仕事が終った夜にここに通っていたのを覚えています。森を出ると、50メートルほど先の水道道路＜今は「井の頭通」＞までの間は野菜畑で、そこは私のトンボつりや、凧揚げのゲレンデでした。近くには当時のまま劇団「前進座」があります。

私が住んでいた家があった場所を通り、午前9時、武蔵野第三国民学校＜今は武蔵野市立第三小学校＞の、＜奉安殿と二宮金次郎の像があった＞正門の位置から、その南にある（当日そこから善福寺公園に向うはずだった）通用門＜両方とも今でも使われているようです＞を過ぎて歩き始めます。校庭では少年野球の練習が始まるところでした。
五日市街道を横切るJR中央線のガードをくぐった先は、まっすぐの道に住宅が続いています。歩いているうちにほとんど突然、カスガ君、ナトリ君，マキ君などの同級生の名前や顔、「高く日のてる…」という校歌の一節、橋本さん、井上さん、堀内さん、山口さん、西宮さん、渡部さんなどご近所に人の顔、その頃読んで特に印象に残った、濱田広介の童話「りゅうの目の涙」などが思い出されます。

善福寺公園にはほぼ20分で着くことができました。2つある池の周りを、そこに生えている木や棲んでいる水鳥などが、いつも行く井の頭公園のものとどう違うかなどを家内と話しながら回りました。そして午前10時というのに、この日一番したかったこと、つまり、前夜家内に作ってもらった握りめしを食べ、「森永キャラメル」を口に入れると、4月18日のほぼ同じ時間帯の空気を吸ったことに、何か気が済んだようになりました。

帰りは公園から出るバスに、荻窪駅まで乗りました。駅の雑踏は、私の興奮（この文章が長いのにお気づきでしょう？）とは別に、ふだんと変らないものでした。

最後に、かつて私に忘れ難い記憶を残した第三小学校に、なつかしさと敬意をもって校歌＜武田 雪夫 作詞　藤井 清水 作曲＞を記録します。インターネットのおかげで、当時の校歌が今もそのまま残っているのを知ることができました。

1．高く日のてる　武蔵野の
光明るき　風の中
かがやくは　我等が学び舎
たゆまず修むる　正しき教え
ああ　我等が母校
武蔵野第三　武蔵野第三

2．清き水わく　井之頭
すみて流るる　そのほとり
そびゆるは　我等が学び舎
はげみてきたうる　心とからだ
ああ　我等が母校
武蔵野第三　武蔵野第三■