「英語を社内公用語にする」会社
最近いくつかの新興会社で、経営者が「英語を社内公用語にする」と言い出したから、世間はこれを巡る議論でにぎやかだ。こうした話はこれまでもあって、取り立てて事新しいものではない。そしていつものことながら、議論の焦点があいまいだ。
早速「世界のマーケットを目標に金を儲けようとしている会社が世界中で通用する英語を社内の公用語にするのはあたり前の話で、いまさらという気がする」とあっけらかんと言う人、「国際的に活躍できる人材が必要」という新聞の論調「(これからは)海外の人と対等に渡り合えるタフな交渉能力が必要」などの大学の先生の意見が目につく。当の社長さんの一人は、「英語はストレートに表現するが、日本語だとあいまいになる」と。
私としては、英語は本当に社内公用語になるのだろうか?と少々意地悪く見ている。「社内」とはどの範囲を指すか<取引先や関連会社(つまり下請)は入るのですか?>をまず知りたい。次に、日本人が多数を占める会社が公用語に英語を使って、何を目指すのか?端的に言って、<営利企業ですからね>生産性があがると考えているかを知りたい。
初めに書いたように、こうしたことはこれまでもあって、以前大手の商社で、永年アメリカ勤務だった社長が同じ提案をして、社内の反対で退けられたこともあるそうだ。アメリカにしばらく<とは一週間以上です>出張して、仕事の会合に出たり旅をしたりと、英語の中で暮らすと、老若男女を問わず、誰もが気軽に話しかけてくるし、当方も誰にでも話しかけて返事が返ってくる生活になじむ。でもこうしたことが日本に帰ってもできると考えてしまうのは一種の錯覚だ。日本にそういう風土はない。言葉とは、話す国民によって伝える意味(の度合い)に違いが出る。日本人はどこの国語を使っても「ストレートに表現しない」国民だ。これはまた、同じ英語国民でも微妙に違う。英国やオーストラリアに「ストレートに表現する」風土はない。コミュにケーションのカルチャーが違うのだ。
もう一つ、日本人が自分の考えを英語でまとめるのは、今から始めて、どういう順序で行われるかを考えると、これは少なくとも初めの段階<とははじめの10年くらい>ではなかなか難しい。
「英語遣い」は、日本人は言葉ができないから世界中から無視されているなどと言うが、それは当らない。どのような言葉を使おうが、コミュにケーションとは話し方とその中身で価値が決まる。例えば、相手の言ったことを理解した上で、自分の意見を展開する、疑問点を質問するなどができることだ。そしてその背景に、その国民としての考え方があればそれでよい。現に日本はずっとそれをやってきたのだから。
「言葉は母国」と言われるように、私たちは思考の道具としての母国語の重要性を身に着けることが先決だ。そして、その国としての考え方を発信できる人を、作り出すように教育の方法<英語以外の教科もですよ>を改めればよい。
創業以来高い輸出比率で社業を推移させて来た自動車メーカーの社長が、「日本人の集まる日本<の会社>で英語を使うなんて、ばかな話だ」と一蹴したそうだ。「英語を社内公用語にする」のが「ばかな話」とは言わないまでも、これは、経営者の陥りやすい勘違いだ。この種の勘違いは先例もあるのだから、経営者はこれに早く目覚めて、適正な利益を生む「本業」に励むのが責任を全うする道だ。■<092510>