成長とは?
このホームページは「人々の成長を支援する」<“Helping People to Grow”>と、サブタイトルをつけている。そこで、新しい年のはじめに、成長とは何かを少し考えて見ようと思う。
ここで言う成長は生理的なものではなく、人間の精神の成長を指している。
人間の生理的な成長は、器械で客観的に測定した結果を数値で手に入れることができる。しかし精神の成長となると、何か客観的な基準を決めて、結果を器械で測定できるものではない。だからこれはあくまでも主観的なもの、自分の生き方の質を自覚する世界の話になる。ふつう自分の生き方の質を自覚すると、それが自信につながることが多い。だから成長を自覚することは重要になる。
誰にとっても、自分の成長は他人頼みでなく、自分の手で実現するほかに方法がない。
ある年齢以上の人を見て、その人の日常の交友、知識の中身、学び方、自足や自活のあり方、所帯や暮しの切盛りなどが引締ってよく整理されていると、その人は魅力的に映る。その魅力は、もしその人に質問すれば「何故」そのようにしているかの答えが返って来るだろうと考えられる、つまりその人が自分の成長を自覚していると考えられるところにある。
人の成長は、一貫して何かを追い求めることによって手に入れることができる。何かを一貫して追い求めることによって作り出されるものを、その人のキャリアと呼ぶ。キャリアとは、求められれば「私はこれまで(この理由で)これをしてきました」と人に説明できるものを指す。われわれは自分でキャリアを手に入れることに、もっと関心を持ってよい。キャリアを手に入れるとは、自分の決めた目標に向って行動を計画して、時間をかけてそれを実行することにつきる。何を計画するかは、その人によって違うが、「計画して実行する」<計画したものを実行する>と言う因果関係が鍵を握っている。
計画したことを実行するのは我々を地上につなぎとめる凧の糸だ。糸の切れた凧は、あらぬ方に飛び去る。糸の切れた凧みたいな人は我々の周りにもいる。口を開けば忙しい、忙しいと、やたらと忙しがっていいながら、周りから見ていると何をしているのか一向にわからない人がそれだ。そういう人は放漫で、執着力に乏しいから、ひとつの事に打ち込むことができない。仕事の焦点が次々に動いて、しまいには自分が一体何をしたらよいのかがわからなくなって、自分で自分をもてあます格好になる。
キャリアは、人生の半ばを過ぎたら意識されてよい。人生の半ばを過ぎたらとは、一生の半分、つまり現代人の寿命から言えば、40歳代ということになる。会社とか官庁に勤めたといった過去の経歴から得た観念にしがみついて、人生の後半に臨むのは好ましいことではない。そうした人は、それ以上世間を広げることができない。
自分のキャリアを意識したその日から、その人の毎日は味わい深くなる。成長はそこから始まる。これはちょうど、自分の選んだ本を、そのページから立上ってくるものに無限の喜びを感じながら、心をこめて読むのに似ている。人はこれを精読<細かいところまで注意してよく読む、熟読>と言い、精読は読書と言う行為を味わい深くする。
本来精読とは多読の末に行き着くものであるように、キャリアの意識も、若い時の多くの経験の末にたどり着くものだろう。若い時にいろいろな経験を積むのが大切な理由もここにある。■