顔色を見て物を言う
「巧言令色鮮矣仁、剛毅朴訥近仁」と高校時代「論語」にはじめて接した時に、その先生から「これは君たちが将来一筆書けと頼まれた時に役立つ」と教えられた。つまり、どこででもいつでも通じる言葉と言う意味なのである。
「巧言令色…」は相手の顔色を見て、自分の言葉や態度や変える振舞いだから信用できない。それにくらべて、自分の信ずるところをそのまま伝える「剛毅朴訥…」はまだ信用できる(仁がある)-と孔子は言っている。現代の私たちの周りには「巧言令色…」君も「剛毅朴訥…」君も健在だから、二千年前に言われたことは生きている。
「巧言令色…」君は相手の顔色やその場の状況を見て、相手の都合の悪いことは一切言わないし、やらない。たとえ相手が明らかに人に迷惑のかかる間違ったことをしていても、それをした本人に向ってそれを注意したりはない。言いにくいことは言わないでおく-ならよいが本人にはだけは言わないでおくらしい。「剛毅朴訥…」君は注意する。つまり「巧言令色…」君は自分のために「剛毅朴訥…」君は相手を思って振舞う。
違いはこれだけに止まらない。「巧言令色…」君は間違いを本人に言わない代りに、肝心の本人以外にはそれを言いふらすおまけがつく。誰だって自分が正しい<または人には知られない>と思ってやっていることを注意されるのはいやなものだから、つい「巧言令色…」君の言うことに耳を傾け、それをもとに自分のやっていることを「それでいい」と正当化してしまう。会社の経営者が周囲の迷惑もわきまえずに長いこと居座っているのは、周りの「巧言令色…」君に「あなた以外にいない」とか振回されて腐敗したからで、そういう経営者に限って、他人に「気がついたらXX年社長をしていた」などと言ったり書いたりして己の無知を曝す。
ここでは「どうか巧言令色君にならないでほしい」と言いたいのではない。ここで言いたいのは、あなたが組織のリーダーである場合、周りにいる人々の「巧言令色…」ぶりを見抜く力を持つことの重要さだ。身近な「巧言令色…」君を追い出すまでしなくとも良いから、それをわきまえて接することを勧める。
尤もあなた自身が「巧言令色…」君なら、これは取り返しがつかない。「類を以って集る」とも「類は友を呼ぶ」とも言うから、あなたの周りには「巧言令色…」君が蝟集しているに違いない。そうした向きには、どんな場合も人として他人を裏切るようなことをしてはならない-と言っておこう。
話を戻して、あなたが組織のリーダーなら、周りには残念だが「巧言令色…」君の方が多い。組織とはそうしたものだし、だから孔子もそう言っているのだ。それを見抜かないと大きな損で、自らを滅ぼす。
でも、「自らを滅ぼす」とは経営者の地位を失うなんてことではありませんよ。■<032510>