ほめるもせむるも
昔も今も、いくさには守るか攻めるかのどちらかしかないから、以前は国家の消長がこれに過大にかかっていた時代もあった。そこで、今は歌われなくなった「軍艦行進曲」の歌詞も“♪守るも攻むるも黒鉄(くろがね)の浮かべる城ぞ頼みなる-”<「浮かべる城」とは軍艦を指す>とあった。今日のタイトルはそれを踏んでいるから、これを読んでピンと来る人は、社会から退隠してからしばらく経った年配だろうと思う。
今日でも、守るか攻めるかのタイミング、つまり何時攻めて、何時守るかが最終的には国家の命運を左右するから、これを何時にするかは、どの国にとっても、戦略上の大問題であることに変りはない。
仕事上での人の管理も同じで、人を動かすにはほめる(褒める)か、せめる(責める)しない。そこで何時褒めて、何時責めるかが、上の戦争の場合と同じように重要になる。
仕事の上で人を褒めるか責めるかは、仕事の結果ばかりでなく、その仕事をどのようにしたかの経過を見てするように、と言いたい。毎日のように記者会見で頭を下げる写真が新聞に載っているのを見ると、世の中が少し人を責める方向に傾いているように見える。個人のレベルでも、サラリーマンがノイローゼや心身症になったり、その相談を盛大にやったりしているところを見ると、あまり生産的な世の中ではないようだ。
職場でも、人を褒めるより人の非を責める方が権柄づくの上司には楽なのだろうが、あまりそればかりしていると、肝腎の職場の生産性が下るなど、回りまわって自分の首を絞めることになる。古人はこれを「角を矯めて牛を殺す」と言った。だから、褒めると責めるはよく考えた上で、ほどよく使い分けた方がよい。
そこでまず、指示したことが実行されない時の責め方<注意する、誤りを正す-などともいう>では、その結果ばかりでなく、それをどのようにしたかの経過を見てするようにしたい。経過を見て、あなたが指示したことが「できない」相手を責めても<注意しても、誤りを正そうとしても>仕方のないことは誰にもわかる。「できない」相手にはなぜできないかを聞いて教えるしかない。
他方、できるくせに「やらない」からあなたの指示したことが実行できない場合には、相手を責める<注意する、誤りを正す-などともいう>。できるくせにやらない相手は大いに責めるべきだ。ただその相手にだって「君はできるぞ」と、あなたがそのように考える理由を説明しないと、指示したことが相手の生産的な行為につながらない。できるのに結果が出なかったときは、例えば時間の配分や、優先順位のつけ方が間違っていないかを見て、そこを指摘するなどが、相手の身になった責め方だろう。
次に褒め方は、なるべく具体的なのが良い。つまり、相手のしたことの量と質を区別して褒める。
量をほめるのは、仕事の習熟度の比較的低い相手のことが多く「よく来る」、「沢山やった」、「よく辛抱した」、「いつもそうした」などがある。
質を褒めるのは「話が順序立っている」、「わかり易い」、「xxの重要さを、間違いなく伝えている」、「データの並べ方に説得力がある」等々、相手の仕事の中身に一歩踏み込んだ形になるから、相手は一人前の習熟度仕事に持っていると仮定できる。
責めると褒めるを、同時に一人の相手にするときは、まず責めてそれから褒めたほうがよいに決っている。人は後から言われたことの方を覚えているから。
ところで、こんなシチ面倒なことを-と言う人には聞きたい。あなたは職場の部下に、あなたの「権威」を示したいのか、それともあなたの「価値」を示したいのかと。
あなたの「権威」は、あなたが職場を去った途端に消える。
あなたの「価値」は、さてどうだろう?
もちろん、何時までたっても経営の成否を、量から見た損得勘定で評価するばかりで、質の面から捉える知性が備わらないわが国の企業経営風土にも問題の原因があるようだが、これはそんなことより、人を使うあなた自身の問題なのだ。■