着眼点は着地点
ある人が夜道を歩いていると、街灯の下で何か探している男がいる。近づいて聞くと家の鍵を落して家に入れないと言う。それは大変と一緒に探すが見つからない。そこで念のためにどこで落したのかを聞くと、家の玄関の前で落したと言う。「お前さんの家は?」と聞くと「あっちだ」と離れた方を指差す。呆れて「玄関の前で落した鍵を、この街灯の下で探したって見つからないだろう?」と言えば、男は「だって、オレのうちの玄関の外灯はついてないもん」と。
これは以前読んだたとえ話だが、安易な解決策<明るいところで失せ物を探す>にとびついても、問題<自分の家に入る>は解決しないとう言う尤もな例だ。
こうしたことは、普段誰もがいくらも経験している。私たちはそれがどんなに必要なことでも、自分にとって都合が悪く億劫なことは、何かと口実をつけたり過小評価したりして、なかなか手を付けない。歯痛や風邪と言った病気を手近な売薬を服んで治そうとする、他人の誤解を解くのを先延ばしにする、クルマに乗ると危険を避けるのにブレーキよりもクラクションを多く使う、「ひとまえ」を意識するのは面倒と、どこでも自分の茶の間と同じように振舞う、部下に自分の考えを説明するのが面倒とばかり怒鳴りつける等々。
こうすると、個人の場合いつも楽をしようとして、気がついたらそれが直せなくなる。どこででも大声でしか話せない、自分の感情や欲望を抑えられない、自分のことは話すが人の話が理解できない、幼児のようにものごとの学び方がわからないなどの悪い癖がついて、俗に言う劣悪な人間になる。自分の言ったりしたりすることに周りが迷惑しているのに、本人だけは気付かない。その結果、それがいわば永年のツケになって、本人に思わぬ不幸をもたらす。
こうした安易な解決策にとびつこうとするのが公の場に移ったら、損害も惨めさも数倍する。企業や組織で、そのたびに尤もな理由をつけて「外資」との離合集散を繰り返すところは明日への展望がない。社員の労働時間の増加<残業、休日出勤があたりまえになっている>、杜撰な経理処理<いつもあいまいな金の使い途がある>に目が向かない、「会議」に多くの時間を使う、反対意見を怖れてすべてのことを関係者の「総意」<「満場一致」>で決めようとする、自分たちがお客さまと思い込んでいる相手の不当な要求に物が言えない、ふさわしい日本語があるのに、どういうわけか、やたらと横文字を使いたがる、「コンサルタント」に勧められて、日本ではとても役に立たない仕事の仕組みや制度を使おうとする等の経営者などはそれに当る。そうした経営者の会社は、思い立ってリストラすると役に立つ人から去ります。
国家もまた然り。権力の座は富をもたらし一族に恩恵を与える座と勘違いする元首の國に明日はない。自国の問題解決能力のなさを棚に上げて、何かといえば外国からの援助を声高に求める国家に明日はない。外国の脅威でなく、自国内の治安の維持に外国軍隊の駐留を求めるような「国家元首」を頂く国に明日はない。
とここまで書いて、私たちはいま、学生の就職、地方自治体の経営不振、はては自助努力のない商店街の人出の少なさまで「経済」のせいにする國、同盟とは相手の冷徹な計算の上に立っていることを忘れて、アメリカに寄りかかってだけいる國に住んでいることに気づく。
安易な解決策にとびつかないためには、まず着地点<どういう結果がいちばん望ましいかを自分自身の手で描き、そこからさかのぼって着眼点を探すのが上策だ。着地点の描き方は、別の機会に書くとして、ここではあなた自身やあなたの率いる組織の本来のミッションをじっと見直せばよい、と言っておこう。■<042510>