親の跡継げば…
選挙が近くなったせいか、代議士の二世に対する風当りが強い。それについて、自身二世の現職の首相が「親の跡を継いで悪いことは何もない。間違いなく親の背中を見て子供が育つ。(子供が)親の背中を見て、『おれもああなりたい』と思ったおやじはよいおやじ」と言う趣旨の発言をしたと報じられた。
誰もが多かれ少なかれ「親の跡を継いで」いる。でも親の跡を継ぐとは、親の職業(に伴う利権)を継ぐことではない。周りを見るとたしかに、医師、教職、代議士、住持、商店・企業のオーナー、物書きなど、親の職業(に伴う利権)を継いだ、二世がいる。それ自体が悪いとはいわないが、育てた世代の側として上の発言を見る限り、子供が親の職業上の利権の後継者になるのは、明らかに親の育て方の失敗だ。
親の職業を継ぐと子供に不利なことが多い。親からもらった知名度などは、初めのうちは良いが、次第に重荷になってくるのではないか。例をあげればきりが無いが、いつも親と職業上の適否について、無用の評価をされる。本人の独創的な考えや発言も「また親父と同じことを言っている/している」と言われるのが関の山で、万一うまくやっても「あのひとの子だから…」となる。こうしたことで、人に言えぬ苦労をするから、本人の能力を発揮する機会が少なくなる。
「それでも良い」と、親の職業上の利権<この場合は、職業の如何を問わず、代議士について言われる「ジバン(地盤=支持勢力)、カンバン(看板=知名度)、カバン(鞄=財力)」がそれに当ると考えてよいでしょう>を継いでいる者には、こんどはそっちが悪いと言いたい。
現実に二世に対する反発が多いのは、二世が特権を得て、それを使うことに汲々としていると思い込んでいる人が多いからで、楽をしていると見られる。親の成功を目のあたりにしているから、その成功のために、目先のことだけ考えて立回る。親は苦労してそこにたどり着いたのに、親には遠く及ばない生半可な知識を振り回して、結果を得るためにはどうしたらうまく立回れるかだけを考える。先のことを考えて、腹の据わった決断などできない-と見られることが多い。そうした二世は代議士であれ、企業の代表であれ、畢竟自家の利益の代弁者に堕する。親が汗水流して、時には危ない橋を渡って稼いだ金を目当てに、周りがちやほやするものだから、若いうちから身分不相応なものや地位をあてがわれて、世の中の正道を身につける前に、人をペテンにかけるような反社会的なことだけを覚えて、その挙句借金地獄に陥る人も多いと聞く。
まともな親の背中が語るものはそう多くはない。せいぜい「人のいうことにいちいち神経を使うな。鈍感でバカになって、自分を騙さないとだめだ」とか、「一段上の人の立場で考え、一段下の人の立場で体を動かせ」とか、「仕事を通して、金ではなく、どうしてもお前と一緒に働きたいと言う人を周りに造れ」などと素朴なものばかりだ。まともな親なら、要領良く立ち回れなどとは教えない。それを教えるのは、親の友達、知人それにコブンなど、いわゆる取巻きだ。そのほうが自分たちのやり易い方向に二世を引っ張れるからそれをやる。そうした人達は「あなたのお父さんはこうだった」などと、二世に言う。でもそんなものはよくよく聞けば、まともな親子関係で来た息子や娘からすれば、「当っていないな…」と思うことのほうが多いから、何の役にも立たない。
親の跡を継ぐとは親の築いた地位や名声を継ぐことではなくて、それを得たプロセスの踏襲だ。そして、親の到達した地位や名声を、自分の意思で目指すことだ。
親と子は違う。同じ親から生れた兄弟にだって個体差がある。私の5つ年下の弟は、こわれた機械を見れば、どこがおかしいかをたちどころに見破って、その場で修繕した。私は機械いじりに関しては鈍だ。だから母は何か直してほしいものや造作があれば、目の前に私がいても弟を呼んだ。今となっては懐しい思い出である。
二世は近親結婚みたいに、優生な遺伝子を退嬰させる。
誰もがその人の息子または娘として生れてきたことで、既に立派に親の後を継いでいる。
世の中に出たら、引き継いだ遺伝子で勝負しなさい。■