スモール・トーク
以前あるアメリカ人と話しているときに、相手がある共通の知人(日本人)について「あの人は、スモール・トーク(small talk)のできない人だ」とコメントした。その時はたぶん言葉の問題を言っているのだと思って気にもしなかったが、近ごろこの時の話には別の意味のあったのに気がつく。
スモール・トークの意味は、「世間話、雑談」と英和辞典にあって、英英辞典には“Polite conversation about ordinary or unimportant subjects, especially at social occasions”とあるのを見ると、「スモール・トークのできる」とは、肝心の話に入る前に、ちょっとした挨拶、世間話、雑談などで相手をくつろがせて信頼関係を作ろうとすることができることを指しているとわかる。初対面の人とは言うまでもなく、どんな相手とでも、その人と会ったはじめの時間をどう過ごすかが、その後の話の展開に大きく影響するのは、大人ならみな経験している。
スモール・トークの機会は多い。客先を訪問して「いやあ、今日はひどい天気ですねえ…」「大変でしたね。お帰りには止むといいですね」とか、「受付の警備員の人が親切に案内してくれたので助かりましたよ」「ああ、あの人はこのビルに古くからいる人でねえ」などとやる。他国を訪問した政治家や経済人が、会談の冒頭、カメラ取材に応じるときに相手の外国人と「談笑している」あれだ。彼等は多分「今あなたの国ではどんな陽気ですか?」、「どうでした、こちらへの空の旅は快適でしたか?」「昨夜は良く眠れましたか?」、「今泊まっているホテルは気に入りましたか?」などとやっているのだろう。
これができない人がいる。「スモール・トークのできない人」とは「スモール・トークから話に入れない人」の意味のようだ。いきなり本題に入ったのでは、相手の緊張が下がらないから嫌われる。そういう人は自分の用件にかまけて、相手のことが目に入らない余裕がない人と見られやすい。
冒頭に日本人が出たが、われわれは概して、こうしたことが苦手だ。ついこの間までは、ビジネスマンの中にもこうしたことにあまり意味を認めない人もずいぶん大勢いた。しかしどんなに短時間でも相手との関係を見極めてから話に入る方が、その後の話が展開しやすいことが段々わかってきている。
ふだんも旅先のエレベータの中や、ホテルのフロント、美術館の入場や乗物を待って行列しているとき、時にはレストランで近くのテーブルに座った同士でも、いわば他愛のない会話をして、その場がなごやかになることが多い。
こうすることで、いわゆる「国際化」しろといっているのではない。もうひとつ先に進んで言えば、スモール・トークには言葉の能力よりも、相手やその場に応じた話題を選べることが大切だ。相手の言うままに相槌を打っているのは能なしと思われる。何気ない話題を選ぶのは相手の身になって考えるのだから、相手に気を使うことになる。
明治憲法が公布された日の朝、森有礼が暗殺された。その報に接した時の伊藤内閣の閣議がしょんぼりしていると、海軍大臣西郷従道が「ビールを持ってこい」と言って、
閣僚としばし雑談にふけったという。この時も、スモール・トークは、その先の話をスムースにするための準備だったのだ。