戦争を知ろうとしない…
今回物議をかもした懸賞論文問題で、航空幕僚長<1948年(昭和23)生れ>の示した論旨は、公式に兵を動かせる立場の人が発言したのだからそれなりの深刻さはあるが、だからといって大騒ぎするほどのことではない。
軍隊に限らず、閉塞した空間で起こりがちなことの常として、一般人には異様さを以って 迎えられたが、国家公務員が政府の見解に反した言動を取れば、責任を取らされるだけと理解すれば十分だ。そして今後現在の日本政府内で、どの程度のカウンター・バランスが働くかを注目していればよい。
それにしても、戦後60余年を経た人類の戦争認識がまだこの程度であることには考えさせるものがある。その程度とは、過去の戦争を本人でなく周囲が論ずる時に、その論点が正邪の域を出ていないことを指す。マスコミは懸賞論文の筆者が過去の大戦を正しいとしたことに、まるでそれしかないような過大な脚光を浴びせている。由来正しい戦争などというものがないことを思い知ったのが、我々日本人の先の大戦経験ではなかったか?
戦争は悲惨で「あってはならないこ」などと言うつもりはない。戦争が悲惨なのは言うまでもないが、それが悲惨ならば、我々はどのように悲惨なのかを社会的な観点からもっと考え、話し合う機会を持つべきだろう。
戦争は国家間のものであるから、(「犯行グループ」によるテロは、いくら「宣戦布告」しても戦争ではない)正邪の次元で論ずることなどできない。いかなる戦争も、交戦国双方のどちらにとって「正しい」ことは子供にもわかる理屈だろう。
戦争そのものが常軌を以って論ずることができない理由は、(日本人である我々に取って他に例がないから)、第二次大戦を取り上げれば、その社会や人心を究極的に荒廃させる(devastate)点にあると指摘せざるを得ない。戦争の災禍といえば、物理的な破壊ことが論じられることが多いが、戦争のもたらす荒廃は、人命に加えて住居などの建築物や上下水道などの公共施設の破壊による生活機能の麻痺などといった生易しいものではなく、主権国家としてつじつまが合わないことが蔟生して(はびこって)、その社会に歪んだ期間が「長く長く」続くことを意味する。戦争が終るとその勝敗にかかわらず、後継政府は国民にそのつじつまの合わない事実から眼をそらすように求める(第二次大戦の戦勝国の英国でさえそうだった)。国家はそれでもまだ足りなくて、歴史教育の偏向などを通じて、戦中のことどもを国民に忘れさせようとする。こうした工作の結果、時を置いて人々は何事もなかったように「戦後」の生活を始める。
中国やフランスは先の大戦の戦勝国とされながら、物理的、精神的な破壊の度合いが殊にひどく(「占領されなかった」ために社会的な価値の転換に手間取って)、戦中の不正が戦後も長く新政府によって引きずられる苦い経験を持たざるを得なかった。戦後占領軍としてドイツを一時的に支配した西側連合軍は、戦後の復興期に(冷戦の“勃発”と言う予期せぬ事態に直面して)、かつてナチ政権下に活躍した高級官僚を起用せざるを得なかった事実が残っている。甚だしいのはナチ政権による民族浄化活動を指揮した党幹部が、ある目的のために、占領軍の手によって中米の某国に移送され、そこで当該国の政府から「公式の」地位と、活動の場を与えられてさえいる。日本だって、A級戦犯として巣鴨に拘禁され、裁判された国家官僚が戦後の内閣に閣僚として迎えられたし、首班にさえなった。こうしたことは社会の歴史が過去と現在の対話だとすれば、まことに辻褄が合わないことである。辻褄が合わないとそれだけその社会の文明の進歩は遅滞する。
わが国には、沖縄を除けば、内戦経験がないが、国土が戦場と化したり、恐怖政治を基盤としたヒトラーのナチドイツやスターリンのソビエト社会主義共和国連邦政府による占領の続いたりした国々では、人々が文字通り命を永らえるのに精一杯で、戦時中に日常化した密告、裏切りなどが戦後の人間不信の社会を作り上げたと言われ、こうしたことが社会の歪みとなって、革新政権の登場を遅らせもしている。また、我々には想像もつかないことだが、戦乱を逃れた他国への亡命者と、国に残って恐怖政治に耐えた人との戦後の反目や対立の深刻さ、などの実情を見聞きするにつけ、戦争とは常軌で論じられるべきものでないとの感を深くしないではいられない。
イラクでは既に500万人の人々が戦争の被害をこうむっているというし、泥沼化したコンゴの内戦は既に「アフリカ大戦」の様相を帯びているという。
世界中の戦火に散った人々の霊への唯一のお返しは、戦争が人類にもたらすものを、我々がもっと知ろうとすることだろう。