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算段する

「算段する」とは、本来は表現として、金銭に関する工面に使われたことが

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呆れた話

ジャナリズムは、ニュースによってはそれを「呆れた話」と片づけることは

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「英語を社内公用語にする」会社

最近いくつかの新興会社で、経営者が「英語を社内公用語にする」と言い出したから、

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‘常識’で政治を見る

これから書くことの背景はこうだ。さきの参院選で、与党民主党の獲得議席数が野党のそれを下回った。

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「資格」の危うさ

昭和29年から30年<私が大学生だった頃だ!>に、ある人が腹に据えかねたという風に、

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感覚の値打ち

バラク・オバマ大統領「今日まで、自分としてはこの問題について公には発言を控えてきました。

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抑止力とは何か

子供の頃に聞いた。「世の中は澄むと濁るの違いにて、ハケに毛があり、

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着眼点は着地点

ある人が夜道を歩いていると、街灯の下で何か探している男がいる。

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顔色を見て物を言う

「巧言令色鮮矣仁、剛毅朴訥近仁」と高校時代「論語」にはじめて接した時に、

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語感を養う

日ごろ愛用しているものが壊れたら修理して使う人がふえているという。

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人を育てる

1928年生れのアメリカのピアニストL.フライシャーは演奏家としての最盛期

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上にも下にも

今年の関東大学ラグビー対抗戦グループでは、創部150周年を迎えたA校を先頭に、

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とりあえず返事を

誰でも自分独自のスタイルや判断基準がある。しかしそれについては、

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今、落語があぶない

誰でも自分独自のスタイルや判断基準がある。しかしそれについては、

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自分なりの判断基準

誰でも自分独自のスタイルや判断基準がある。しかしそれについては、

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ガイドとリーダー

登山シーズンの幕開け早々に起きた北海道大雪山系の大量遭難

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ほめるもせむるも

昔も今も、いくさには守るか攻めるかのどちらかしかないから、以前は

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親の跡継げば…

選挙が近くなったせいか、代議士の二世に対する風当りが強い。それについて

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環境問題は難しい

以前にも触れたことだが、環境問題に取組むのはむつかしい。そのわけは、

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‘努力’の新しい形

若い世代の能力が低下して世の中が活力を失いつつある、と言う人がいる。その理由は

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どこを向いても日本ばかり?

近頃の報道には読者や視聴者がよくわからないものが多い。報道される事実の周辺が伝わって

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日本にあふれるガッツ・ポーズ

横綱朝青龍が初場所の優勝を決めた瞬間に土俵上でガッツ・ポーズを見せたから

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成長とは?

このホームページには「人々の成長を支援する」<“Helping People to Grow”>

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使い分ける工夫

われわれの技術も物の考え方も絶えず進化しているから、道具としてのハード・ウェアも

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戦争を知ろうとしない…

今回物議をかもした懸賞論文問題で、航空幕僚長<1948年(昭和23)生れ>の示した論旨は、

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環境問題の行方

洞爺湖サミットのメインテーマが環境問題だからと、主催国の日本では、ついこの間まで

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「いまさら英語?」と言う人へ

なにがなんでも英語を身につけなければいけないと考えている人が多いのは、毎日の新聞の広告欄を

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憲法論議

われわれが自分たちの社会を豊かであると、統計ばかりでなく実感するためにも、もう少し

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豊かな社会 貧しい社会

われわれが自分たちの社会を豊かであると、統計ばかりでなく実感するためにも、もう少し

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威厳とは何か?

新学期や新年度を迎えて、日本中の家庭や職場に、新しい仕事、新しい地位、新しい役割を手に

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旬を楽しむ

生活を楽しむことができるとすれば、それは自分の毎日に意味を感じながら時間を過ごすことだと思う

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勤勉の復権

いつの時代にも人々は満足を求めてやまないが、昨今は個人が何かを自分の手に入れることで満足しようと

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文は人なり

岩波文庫の巻末に載っている、あの有名な言葉のもじりでいえば「文章はその受け手に読まれることを

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家賃が高い…

相撲言葉に「家賃が高い」というのがある。家を借りても、家賃が自分の収入に比べて高すぎる

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古典にむきあう

古典とは人の手になった最良のもののことと考えられる。工芸品、詩歌散文などの文芸作品、絵画や

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スモール・トーク

以前あるアメリカ人と話しているときに、相手がある共通の知人(日本人)について「あの人は、スモール・トーク

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「忠告」を受ける

他人から「忠告」を受けるのはなかなかむつかしい。われわれは自分の

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一作務・二坐禅・三看経

禅宗の坊さんに坐禅について質問していたら「でも、禅宗の坊主だって坐禅ばかりしているわけでは

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続くものとして

映画「キュリー夫人」(1946年? アメリカ)の最後に近く、不慮の事故で夫ピエールに先立たれたマリー・キュ

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まず動いてみる

これから書くのは、怠け者への処方箋ではありません。誰だって予定をたててからそれを始めるのに時間

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「裸の王様」はどこにもいる

「裸の王様」はグリム童話の中でもよく知られている話だから、改めて紹介するまでもないだろう。

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使い分ける工夫

われわれの技術も物の考え方も絶えず進化しているから、道具としてのハード・ウェアもソフト・ウェアも新しいものが次々に出てくる。それらは毎日の生活を変え、しかも加速度的に変え続ける。変化に合わせるのは大体骨が折れることが多い。21世紀の我々は、どうもそうした変化に試されているようだ。

新しいものにすぐ飛びつかなくてもよい、といって、古いものにだけしがみついていたのでは、思わぬ無駄を強いられることになる。でも、現に私たちの身の回りには多くの場合、これまで使っていた、いわば古いものと、新しいものの両方のあるのが目につくから、そのどちらかだけを使わないで、それぞれの利点を使い分ける工夫をすれば、道具がほんとうの意味で人の役に立つ。つまり、人が道具に使われることがなくて済む。

道具を使い分けると考えると、これを読んでいる誰もがすぐ思い浮かぶものに、外国語の辞書がある。いまや外国語の辞書は従来の紙の辞書でなく電子辞書全盛で、その理由は専ら意味を知りたいと思う単語に早く行き着ける利便性にあるようだ。英語を例にとれば、電子辞書で英単語の意味を引く場合、(何も考えずに!)目の前の文字の組み合せをそのまま電子辞書に入力すれば、その語とその意味が即座に画面に現れる。従来の紙の辞書のように、アルファベットの組合せ考えながら、その語に行き着く必要はない。でもその語に早く行き着くことと、その語の意味を早く手に入れることとは話が別になる。単語によっては、ひとつで多くの意味を持つものがあるから、折角早くその言葉に行き着いても、小さなディスプレイではすべての意味や用例を短時間で一覧することは難しいから、画面を行きつ戻りつして、適正な訳語を探す。そこでに紙の辞書の出番が来る。紙の辞書はページを開けば、それが何ページに亙っていても、電子辞書に比べて短時間で一覧することができるから、使われることの少ないその語の意味や用例に行き着くことは、電子辞書に比べて容易である。こうして電子辞書と従来の紙の辞書とを、使い分けると便利と感ずることが多い。私は最近(とは今朝)、stultifyやreclusiveなどの語は電子辞書を使って、また同じ資料に使われている、account、art、 engagementなどの語は紙の辞書で、そこに使われている限られた意味を知った。

もうひとつ、場所も私たちが自分で使い分けることのできる道具と考えて良いものだろう。生活の幅が広がるにつれて、人はいろいろな場所を使って毎日を暮す。つまりいろいろな場所に出没することになるから、ある目的のためにそれぞれの場所を使い分ける工夫ができる。本を読むという行為を例にすると、それぞれの時間の長さや集中度合いに従って、それぞれの場所で本を読むことができる。例えば乗り物の中では、何よりも内容に惹かれるものを楽しめる。計画的に読みたいものは、時には辞書などの大部な資料が必要だから、自室や図書館、研究室などで。居間などは食後のくつろいだ気持ちで、最も好きで、時には懐しい作品に目を通すのに適しているだろう。また、声に出してその内容を味わいたいものを取上げるのは、周りからほどよく隔離された場所に限られるだろうし、どこかで人と待合せる時には、ファイルにたまった新聞雑誌の切抜きや、贈られた資料を持って少し早目に出ても、そこで相手を待つことが、少しも苦にならない。

こうして考えると私たちの回りには、ケータイ電話と定置型電話、新聞やラジオとテレビ、現金とクレジット・カード、電子メールと郵便、自転車や自家用車と公共の乗物、クーラーと団扇、ソロバンと電卓、図書館の蔵書と個人蔵書、一括払いと割賦、メールオーダーと店買いなど、ちょっと考えても、使い分ける工夫のできるものが山ほどあることがわかる。

このように考えると、私たちの毎日の生活は何とスリルに富んだ刺激的なものなのだろう。だから、世の中がこうした使い分ける工夫にもっと寛大になってほしいと願うのは、私だけだろうか?